日向神話

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/outline.html

[日本神話の中心は古事記日本書紀にみえる神話である。この2つの書の神話は必ずしも同じではないが、全体としては1つの筋をもっていて、日本国と皇室の創生の物語が中心となっている。その物語の舞台は3つある。日向と大和、そして出雲である。出雲の場合は大方が独立した物語で展開する。それに対して、日向と大和の場合は、天・地・海の神の世界から日向へ、日向から大和へと連続した物語として展開する。]

[なぜ古代国家のなかでも、都から遠くはなれた僻遠の地にある日向が、これらの物語の舞台になったのであろうか。それは一口でいえば、この物語が創りだされる時代に、日向が朝廷と深いかかわりを持っていて、日向を無視できない事情があり、また物語の展開の上で最もふさわしい土地とみられる要素があったことが考えられる。歴代天皇にかかわる日向の女性が物語のなかにしばしば登場するのもそれらを示唆しているものと思われる。]

[自分の正体をホオリノミコトに見られたワタツミノカミは、その恥ずかしさと、自分の正体を見たホオリノミコトに対する恨みと、自分が生んだミコを失う悲しみ、その情念が1つの炎となって噴き出しだのが霧島山の噴火である。]

海神の天神x地神の孫に対する恨み、子を失う悲しみ?



[日向神話とは、もちろん「古事記」「日本書紀」に語られている神話のことである。天孫降臨や海幸彦・山幸彦、神武東征などの説話がある。
 梅原猛さん(哲学者、文化勲章)は「日向神話にはある種のタブーがある。なかでも日本書紀を出典とする『天壌無窮』とか『八紘一宇』などの言葉は、かって日本国家主義の宣伝文句であった。しかし実際に記紀神話をひもとけば、天皇家の祖先の神々はけっこう好色で残虐で、人間性に富み、とても神聖とは言えない」と書いている(『天皇家の“ふるさと”日向をゆく』新潮社)。 ]