気がついたら拝金(悪魔)教団員

http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/goo_mirror.htm
症状の出てる箇所を薬やメスで攻撃して除去する正義の味方。ありがたいようで自然回復を阻んでいる。悪い敵をやっつける観。薬は都合の悪い反応を「副作用」とレッテルを貼って見ないふりをして葬り去っているだけ。検査をガンガン受けるほど死期が早まる、おそらく真実でしょうね。レントゲン検査を受けたことない人間とかが、もしいたとしたらすごい健康だったりするんじゃないのかな。
財政危機なるものもこれと似ていませんか?悪い数字をやっつけるためと称しては、運動や栄養の補給を阻んで、よりそれを促進する再建策(治療)を受けさせる。

日本で普通に育つと医療なんて神聖で善そのもの、だとしか考えられない。連合国と日本の協力者による思想統制のようなものだ。米国の崩壊にともなう秘密の公開はこういう日本の支配層にも不都合なことが多い。だから心中覚悟で支えたりする。でも日本の民衆の無知を幸いとそれら「虎の威」やその副産物の利用を続けるほど反動も大きくなるでしょうね。
お互いを欺き・盗み・苦しめる「黒い衣」はいつのまにか脱ぎ捨てられ民衆に被せられている。ようするに「共犯者」を増やすために「新自由主義」やらを広げ、それによって口を塞ぎ合わせる策をとったわけだ、現世界秩序の管理者は。(人口削減が最優先事項で利用できる者に「稼がせる」)

http://aoisekai.blog.so-net.ne.jp/2010-01-04
「現代医学が聖なるものとして崇めるのは患者の生命ではなく機器に依存した医療行為そのものである」
およそ30年前に既に言われていたことでした。
http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryou/iryou103.htm
「そこで、日米の医療現場の差について、日本での滞在生活の長いアメリカ人の学者にたずねてみました。すると、「あの本は読んだことがあるが、内容的にはむしろ現在の日本の医療現場により当てはまるように思う。というのは、日本では医者にバターナリズム(父権的温情主義)の因習が強いし、患者もおまかせ医療が当然だと思っている。インフォームド・コンセント(十分な説明と同意)だって、ほとんど普及していない。第一、十分な説明といっても、その説明が正しいかどうかわからないのに、日本の患者は、ほかの多くの患者さんもこの治療法を選択していると医者から言われると、素直に同意する。」
「なかには、「日本人は長幼の序を重んじる礼儀正しい国民だが、高齢者が自分の孫のような年齢の医者を『お医者さま』と呼んですがっているのは興味深い現象だ。戦後、日本人の信仰心が薄れたとはよく耳にするが、ほんとうは、信仰の対象が神仏から『お医者さま』に代わっただけではないのか」 といううがった見方をする人もいます。」

日本のマジョリティ「高齢者」も自分の体のことには真剣になるだろうから、そこでの情報収集からテレビ新聞信仰や対外国隷従がどれだけ自らの不利益につながることがあるのか等に対する「気づき」が広がっていく可能性はあるかもしれない。